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会社の歩み

我が国の耐火物の本格的な研究、製造は幕末の頃、海外の進行に備えての海防論が渦巻くなか、幕府や諸藩が大砲鋳造のための反射炉(溶鉱炉)の建造に乗り出したのが始まりとされています。
その当時の耐火物の定義として

  1.  ⑴ 猛烈なる火力に触れるも更に溶解せざるもの
  2.  ⑵ よく火力に堪えて全く破裂せざるもの
  3.  ⑶ その性甚だしく精密にして堅牢なるもの

以上3条件を具備すべしと記されております。岡山地方でも耐火煉瓦の原料となる蝋石の産出があったこと、燃料・海運など交通の便がよかったこと、もともとの窯業技術(備前焼)などの蓄積があったことより耐火煉瓦の製造が盛んとなりました。そのようななかで岡山地区の耐火物産業の創生の祖の一人とされている加藤忍九郎の三男で、初代社長となる加藤 密が1924年(大正13年)当時の児島郡宇野町(現岡山県玉野市)に加藤耐酸耐火材料研究所を発足し、会社は歩み始めました。

1924年(大正13年) 加藤耐酸耐火材料研究所を創業。
日本初のエアーセットモルタルとなる耐火接合剤「パーマタイト」を開発。その後も耐酸モルタル「アシプルファイト」などを開発・製造を開始し、遠藤合資会社を発売元として販売。
1931年(昭和6年) 宇野耐火煉瓦株式会社と合併。同社特品課として引き続き上記製品の製造を行った。
1944年(昭和19年) 宇野耐火煉瓦株式会社の特品課と遠藤合資会社が合併、日本特殊炉材株式会社を設立。
1954年(昭和29年) キャスタブル耐火物「パーマキャスト」の製造販売を開始。
1959年(昭和34年) 関東炉材株式会社および大阪パーマタイト株式会社とそれぞれ関東地区および関西地区の販売総代理店契約を結び、日本特殊炉材株式会社製品の販売を委託。
1960年(昭和35年) プラスチック耐火物「パーマプラスト」の製造販売を開始。
1969年(昭和44年) 関東炉材株式会社、大阪パーマタイト株式会社の両社を吸収合併するとともに、関東支社、北海道営業所、関西支社、名古屋営業所、岡山営業所を設置。
1970年(昭和45年) 大分営業所を設置。千葉工場を開設し、同工場に全自動パーマキャスト製造プラントを設置し、生産開始。
1973年(昭和48年) 北九州営業所を設置。日特ファーネス株式会社を設立。
1974年(昭和49年) 八浜工場を開設し、同工場にプレキャスト製造設備を設置。
1976年(昭和51年) 岡山工場のウェット製品製造工場を増改築。
1982年(昭和57年) 千葉工場にプレキャスト製造設備を設置。
1987年(昭和62年) 岡山工場にコンピューター制御の全自動パーマキャスト製造プラントを設置。
1992年(平成04年) 八浜工場にプレキャスト製造工場を増築し、組付・梱包・出荷設備を整備。岡山工場に全自動溶射材製造プラントを設置。
2003年(平成15年) 技術研究所を新築。
2006年(平成18年) 岡山工場に包装資材倉庫・溶射材研究室を新築。
2009年(平成21年) 昭和44年の合併以来40周年と、創立65周年を記念して社史「六十五年のあゆみ」を発行。岡山工場に溶射材製造プラントを増設。
2010年(平成22年) 岡山工場に最新鋭のキャスタブル製造プラント(3CP)を設置。
2011年(平成23年) 岡山工場に最新鋭のモルタル製造プラント(3MP)を設置。
2012年(平成24年) 岡山工場拡充で第5工場を取得。
2013年(平成25年) 岡山工場・千葉工場にキャスタブル/モルタルの製造可能な最新鋭の製造プラント(5CP)を設置。
2015年(平成27年) 八浜工場に太陽光発電設備を設置。八浜工場・千葉工場に工場建屋を増設。
2016年(平成28年) 八浜工場に乾燥炉、千葉工場に最新鋭のキャスタブル製造プラント(6CP)および乾燥炉を設置。
2018年(平成30年) 八浜工場に工場建屋および乾燥炉を増設。